2009/09/24

Orientation Days! 1日目(続)

Latre教授の次の話は、ルーヴェンカトリック大学の始まりについてでした。13世紀頃、フランドル地方はイギリスから羊毛を輸入し、織物を仕立てて輸出することにより、莫大な富を得ていました。しかし、英仏100年戦争の影響を受け(詳しい事情は聞き取れませんでした)、14世紀後半には羊毛を輸入できなくなりました(教授はこれを”Wool crysis”と呼んでいました)。商人達は高くなった生活水準を保つために、他の商売を始めなければなりませんでした。さてどうしたか?

ブルージュでは小さくて精密な描写が特徴の絵や、レース編みを始めました。リエージュでは金属加工。ブリュッセルはタペストリー、アントワープは印刷業を始めました。これらに共通するのは、「安い、あるいは少量の原料に高度な加工を施して付加価値を高める」という点です。この時代の名残で、現代でもベルギーのどの地方でもこうした加工品を見つけることが出来るそうです。さて、ルーヴェンは「羊毛危機」にどのように対処したのでしょうか。

ルーヴェンは一風変わった作戦を採りました。羊毛危機で空っぽになった織物市場の建物を、大学として再利用する、というものです。学生というタダの「原材料」に「教育」という加工を施し、授業料という「対価」をせしめる、というわけです。また、当時も学生はたくさんお酒を飲みましたから、それを見込んでビールの醸造所もできました。こちらも、あちこちで採れる大麦を加工し、付加価値をつけて売る、という点が共通しています。現在まで大学も醸造所(世界一のInBevです!)も残っているところをみると、この作戦は大成功だったということでしょう。なお、大学は1425年に設立されました。

さて、初期の大学で教鞭を執った著名人として、教授はエラスムスを挙げました。当時、カトリック教会ではラテン語が絶対視されており、ミサは全てラテン語で行われ、ラテン語が分からない庶民には理解できなかったそうです。そのため、庶民は聖職者が聖書について語る解説をそのまま信じるしかありませんでした。エラスムスは、ギリシア語聖書の新版を作ることにより、庶民が聖書を直接読むきっかけを作ったそうです。教授は、デモクラシー思想の源流になった人物だと大絶賛していました。そして、エラスムス以上に力を入れて紹介していたのが、William Tyndaleという、エラスムスと同時期に大学生だった人物です。彼は、聖書を初めて英訳して出版しました。教授曰く、「”Let there be light (光あれ)”などの聖書の名言も、”socket(ソケット)”という日常用語も、彼が生み出したもの。近代英語はシェークスピアではなく、Tyndaleが作ったのだ」とか。

聖書の話が出てきたところで、会場の学生から質問が飛びました。「この大学は名前に『カトリック』が入っているが、教会との法的関係はどうなっているのか。」教授が答えて曰く、「確かに、この大学の最高意思決定機関は高位聖職者からなる委員会だ。また、大学の学長は、遺伝子組み換え実験などについて、ローマ法王に報告しに行かなければならないこともある。これは、Katholieke Universiteit LeuvenとUniversité catholique de Louvainの両方に共通している。」おっと、大学の自治や自由といった概念から外れている気がします・・・。しかし、と教授は続けました。「ベルギー人は、『ルール』というものについてイタリア人と同じ感覚を持っている(会場は爆笑)。つまり、ルールというのは自分の身の丈よりも高いところにあって、いつか守れたら良いな、というもの。ローマ法王が『避妊は自然な方法しか認めない』と言ったとして、イタリア人がどう反応するか想像すれば分かるかな(会場はさらに大爆笑)。」その一方、イギリス人やオランダ人はルールを「最低限守らなければいけない基準」と考えているので、EU内で法律を制定する時に揉める、という話もしていました。カトリックとプロテスタントの違いなのでしょうか?

ここで時間が来たので、教授の話は終わりました。みっちり90分間、しかも英語なので聞き取るのは大変でしたが、全然眠くなりませんでした。むしろ、機会があればもっと話を聞きたいと思ったほどです。日本の大学の講義も、こうだったら良いのですが。

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