私の所属するルーヴェンカトリック大学(Katholieke Universiteit Leuven)では、今日9月21日に新年度が始まりました。それに先立ち、16-18日に海外からの新入生向けオリエンテーションがありました。私は学生ではありませんが、「新人」ということで顔を出しました。印象に残ったことを書いてみたいと思います。
初日は大学と街の紹介です。街案内は、市のルーヴェン市のボランティアが学生を引き連れ、1時間半かけて街のあちこちを説明して回るという本格的なもの(私は長く滞在しているので参加しませんでしたが)。大学案内は、「ベルギーとヨーロッパにおけるルーヴェン」という題目の講演がハイライトです。大学の入学式にありがちな、お説教めいた話かと思っていましたが、良い意味で予想を裏切る、大変興味深い内容でした。
講演したのは、Latre教授という、フランス語圏にあるルーヴェンカトリック大学(Université catholique de Louvain)の先生です。そう、この大学は1968年に、オランダ語圏(ルーヴェン市に昔からあった方)と、フランス語圏(Louvain-la-Neuve=新ルーヴェンに新たに建設された)に分裂したのです。教授は、長くKatholieke Universiteit Leuvenで教鞭を執った後、Université catholique de Louvainに移ったという、珍しい経歴の持ち主です。話は、どういういきさつでこの大学が分裂したのか、というところから始まりました。
ルーヴェンはオランダ語圏のフランドル地方にありますが、大学の講義はフランス語で行われていました。また、市や大学の有力者にも、フランス語を話す人々(ワロン人)が多かったようです。それに対して、フランドル人の民族意識が高まり、”Leuven Vlaams - Walen Buiten(ルーヴェンはフランドル人のものだ、ワロンは出て行け)”というスローガンのもと、大規模なワロン人排斥運動に発展しました。これを沈静化するために考え出された解決策が、大学を2つに分割し、フランス語圏に新たな大学を建設する、というものだったのです。
教授は大変残念そうに語りました。「図書館の本も分割されました。例えば、続き物の1, 3, 5巻はこちら、2, 4, 6巻はあちら、というように。大変嘆かわしいことです。」このように言語対立が激しいこともあり、ベルギー人は国籍を問われた時、「ベルギー人です」と答えることにためらいを感じるそうです。そのためらいが、ベルギー人の何たるかを語っていると。しかし、と教授は続けます。2つの大学に、そしてフランドルにもワロンにも共通する物がある、と。そこでスクリーンに映し出されたのが、タッパーウエアでした。
会場は一瞬沈黙した後、爆笑の渦に包まれました。こちらの学生は、毎週末大量のタッパーウエアを実家に持ち帰り、「母の味」をたっぷり詰めてもらって、翌週頭にLueven, あるいはLouvain-la-Neuveに戻ってくるのが当たり前なのです。そして何と、一週間の汚れ物も全部持ち帰り、母親に洗濯してもらうとか。毎週末実家に帰る程家族との結びつきが強いのがベルギー人で、それを象徴するのがタッパーウエアだ、と言うわけです。家族との絆の強さは、学術的な調査でも明らかになっているそうです。何でも、大学が行った大規模なアンケート調査によると、フランス人は「地域」への帰属意識が強く、オランダ人は近代社会のモデルになった「国家」を一番の誇りにしていて、ベルギー人は一番大切なものとして「家族」を挙げているんだとか。だから、2つの大学の校章はタッパーウエアにすべきだ(現在は2校ともマリアとイエスの像)、と冗談を飛ばして、教授はこの話を締めくくりました。
話には続きがあるのですが、長くなるので今日はこの辺で筆を置きます。
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